🔷 この記事の要約
・地質調査法実習を経験した富大ちたまの学生はつよい。
・日本国家はしんかい10000を建造してあらゆる深海を有人調査する能力を保有すべき。
・沢田は断面図という単語が好きなので事ある毎に言いたいだけ。
里山で修行の2週間
"ちたま"こと地球システム科学科の3年生の選択科目である地質調査法実習は、必修ではないため意思ある学生のみが受講し、富山市南部の山寺にて2週間の共同生活をしながら、川の中を歩いてルートマップを作成させて地質図を描かせる科目だ。
端的に言えば、一昔前の地学科のいわゆる進級論文の名残のような科目である。
富山市南部の里山が広がる地域には、八尾層群という2000〜1500万年前くらいの地層が東西方向の走行で広がっており、これに直行する南から北の日本海へと流れ込む川が野積川や別荘川をはじめいくつか流れている。つまり、いくつかの川を歩いてルートマップを作成すれば、図学を駆使し川と川の間の里山の地下の地質を推定できるという、地質調査の基本を学ぶチュートリアルフィールドとしてよくできた場所と言える。
3年生の学生らは、2年と少しの間に学んだ寸余の知識を元に、2週間にわたってひたすら川を歩いては露頭の記載をする。暑い8月なので、川の中を歩くくらいでちょうど良い。とはいえ、慣れない沢靴を履き、巨礫や堰堤を乗り越え、 クマやハチに怯え、そもそも寺での集団生活という負荷を背負いながら、地質学的な知識の実地訓練だけでなく文字通り修行のような生活をすることで、真に強い人材として成長する。その後、データをもとに地質図を描いて、さらにこの地域の地質断面図を描き、その結果と解釈の理由をプレゼンすると単位がもらえる。
深海調査の50年
学生らが2週間毎日ずっと調査をしている傍ら、教員は地質学岩石学系の数人が入れ替わり立ち代わりで監督をしている。教員は普通に車で毎日自宅に帰るし、担当するのは3,4日のみなのでさほど大きな負担ではない。しかし、8月は教員にとって科研費申請シーズンである。うかうかと川歩きに集中することもできず、学生の監督者もほどほどにラップトップに向かって申請書を埋める作業に没頭することもしばしばである。昨年度は自分も申請者を全力でやって、マントル岩石のネタで出した基盤Bは落ちたものの、大陸地殻のペグマタイト研究のネタで出した挑戦的研究(萌芽)をいただくことができた。したがって今年度は首の皮1枚のところでラボの生命線がつながったことになり、いまや皮どころか骨肉まで太い首が復活して沢田は大いに浮かれている。
そういうわけで今年度は申請者をやらずに済んだのだが、不思議な縁のチカラで深海のマントル起源岩石の研究計画を立てることになった。なったんだから仕方ない。ひとつは、JAMSTEC高知コア研究所に保管されているマリアナ海溝陸側の海底斜面に点在する"蛇紋岩泥火山"の膨大なボーリングコアの中から今見るべきコア600本を選ぶお仕事で、もうひとつはマリアナ海溝付近をしんかい6500で潜るべき場所ベスト10を選ぶお仕事である。前職はJAMSTECの研究員だったとはいえ、深海調査はあまり(というかほとんど)経験値が無いに等しい。無いなりに全力を出すしか無い。ウェブ上で公開されているデータベース"DARWIN"や航海レポートと日々奮闘しながら、計画を立てる日々を過ごした夏だった。
掘削調査にしても潜航調査にしても、海底の広さに対して見ることのできる範囲もサンプルを採れる範囲も極めて限られている。
掘削調査は縦方向に数十から数百メートルの連続性を持った試料の観察ができるが、その幅はせいぜい10cm以下であり、横方向の連続性を見ることはできない。このように限られた空間を切り取ったボーリングコアは、情報量が多いようで少ない。整然と降り積もった堆積層であればともかく、様々なダイナミックなイベントの起きた(あるいは起きている)場所のコアの解読には、かなり研ぎ澄まされた地質学的感覚が必要とされる。
一方の潜航調査は横方向にかなりの移動ができるものの、海底面には露頭というものがそもそも少ない。地震の多発するような場所や急峻なガケのある地形でもなければ露頭は無く、巨大なレキがゴロゴロとガレているのがせいぜいである。そのレキでさえ、沈積する泥に隠されてしまったり、酸化マンガンのコーティングによって真っ黒に覆われてしまって岩石種に依らず見た目はみんな一緒だったりというのも普通である。
上記のデータベースには、世界地図の海底に各種調査で集められたこのような"点のデータ"が分散して乗っている。それらをクリックしては中身を確かめていく作業をする。半世紀以上にわたって続けられた調査には多額の費用と多数の研究者の努力が投じられてきたが、それでも海底の広さに対して心細くなるような点の数しかプロットされていない。おまけに有人潜水調査船しんかい6500はその名の通り水深6500 mまでしか調査できない。あと少しで手が届きそうなアヤしい地形を目の前にしてくやしい思いをしたであろう(と勝手に想像している)プロットがいくつか見受けられた。やはり日本には世界最深の海底であるマリアナ海溝のチャレンジャー海淵の底の10927mまで潜れる有人潜水調査船が必要であると確信する。
境界線を引いて色を与える決断
地質調査の最終日は開放感に満ちている。ストレスに塗れた山暮らしを終えて、人里に帰ることのできる喜びが全身を駆け巡る。当然酒もうまい。
しかし、人里で待つのは変わらない日常に追加された、調査のまとめ作業である。調査は論文を書いてはじめて終わるということを忘れてはならない。学生の実習なら論文ではなくレポートだが、学生にとってはそれなりの負荷のかかる作業ではある。
まとめ作業のメインディッシュのひとつに、地質断面図を描くという作業がある。調査によって描いた地表の地質図をもとに、等高線から山の断面を描き、そこに地下の地質を推定して境界線を引き、区切られた各々の地層に対して色を塗る作業である。地質図を描く作業も、地質断面図を作成する作業も、"地質図学"の座学で習った知識を行うだけと言えば全くその通りである。だが、この作業を自分でやってみるとわかるが、2週間の調査で自らの取得したデータを使って座学の知識を活用して完成させた断面図を見た瞬間、達成感が得られるかと言われると99%くらいの確率でそうはならない。不格好な地形に不自然にすら見える色塗りの結果を前にすると、これまでに行ってきたすべての作業のどこかに間違いがあったのではないか、あるいはそもそも2週間という期間だけのデータで地質図や地質断面図を描くことが土台無理なことだったのではないか、など様々な不安に駆られる方が普通だ。この不安こそ、達成感よりもはるかに重要な実習の意義であると確信している。
理想と現実の狭間、あるいは本音と建前
里山の地質調査は、その気になれば何週間、何ヶ月、何年と歩き続けてデータを取得できる。深海調査となるとそうは言っていられない。1ヶ月の航海調査ともなれば、どれほど安くても数千万円の費用が必要になる。海底油田、陸上の金属鉱床の探査、あるいは大規模なトンネルや橋梁の土木建設工事ともなれば、儲かるのであれば通常のアカデミアの海底調査や陸上調査の10倍から100倍の費用は平気で投じられ、大量の地球物理データが取得され、何本ものボーリングコアが採集される。しかし、アカデミアの世界ではどれだけ研究が進んで地球の理解が深まっても経済的な意味での儲けは直接には出ない。さらに、(アカデミア基準で)多額の費用を投じても得られるデータは限られる。アカデミアの世界で生きる以上は、限られたデータしかないが投じた費用の分以上の成果は必ずオープンに公表して出す必要がある。研究成果というのは単なる新規データを羅列すれば良いという話ではなく、地球の理解の進展について語ることである。
この限界の中で地質学者に求められているのは、完全無欠の正解の提示ではなく、モデルの提示であろう。完璧ではないにしても、現状のデータの中で最善を尽くしたモデルの提示を常に怠ってはならない。モデルが完璧でないからと言って憤る必要はないが、自らの提示したモデルが完璧な正解ではないことを常に忘れてはならない。完璧なモデルを作ることは不可能であるとわかりながら、常に完璧なモデルへのロードマップを頭で描き続けなければならない。この理想と現実の狭間、あるいは本音と建前の曖昧な状況の把握には、やはり里山での訓練は非常に役に立つと思っている。限られたボーリングコア、限られた潜航海域、あるいは限られた地球物理データの中で、どのようにモデルを構築するかは座学で得られる知識のみでなし得るものでは決してありえないだろう。
その断面図に説得力はあるか
十分な量のデータがあれば、地質図でも地質断面図でもそれらを描くのは図学知識に基づいた単なる作業となる。しかし実態としては十分な量のデータが得られることなどほとんど無い。この状況下で描かれた地質図や地質断面図は、データに基づいているのは当然としても多分に解釈や推定が含まれている。
この解釈や推定が説得力を持っているかは、視覚情報として特に断面図に如実に現れてくる。地質図の解読は専門的な知識が無いと難しい場面もあるが、不思議と断面図に説得力があるかどうかは地質学を専門としていなくても、どのような分野を背景に持っているのであれ、ある程度の科学的素養と自然現象への直観があると見抜くことができるように感じられる。これはローカルな里山の地質断面図であっても、沈み込み帯の海洋プレートがマントルへ突入していく様子を示した断面図であっても、あるいは海底調査に基づくフィリピン海プレートの断面図であっても同じである。断面図の説得力というのは、単なる自然科学の研究というだけでなく、おそらくSF小説における設定や前提の説得力に似たものがある。ある前提を置いた時に、そのもとでどのようなストーリーが展開されうるか、自然と頭に入ってくるかどうか。たとえ突拍子もない設定や前提を置いたとしても、うまく語ることのできている創作であれば「まぁそういう状況ならそうなるかもしれない」と思うことができる。同様に、良い断面図を見ると、人は「まぁ地下というのはそういうものなのかもしれない」と思うことができる。
断面図とは絶対に直接観察することのできない対象物の中身を図解するためのものであり、必然的に解釈を開陳する図となる。もし仮に対象物を切り開いて見ることができるのであればそれはもはや断面図ではなく切断面の観察記録である。自らの解釈を文章だけでなく視覚的に開陳して世に問う行為そのものが断面図を描くということである。その負荷に耐えながら、あるいはたのしみさえしながら、その断面図の閲覧者達を相手取って説得力を身に纏える存在こそ、私たちの目指すべき当面の到達点であろう。
断面図を描く難しさを忘れてはならないし、良い断面図を描く努力を放棄してもならないし、他者からの評価に晒される機会を失ってもならない。データの不足を言い訳に手を止めてはならない。資源探査や土木建築など産業界に求められているような、正解と利益のための断面図の描画だけが世界ではない。良い断面図によって提示されるモデルは、賛否両論の中で次の研究課題を想起させ、人類の活動を進展させる契機となりうる。深海調査によって優れた断面図を描ければ、しんかい10000を建造する空気が社会の中に醸成できるかもしれない。
最後に、19世紀末のドイツで出版されたFriedrich Rolle "Illustrierte Geologie und Paläontologie"という青少年向けの地質学教育書の中の、地殻構造とその発達史想像を模式的に描いた断面図のクロモリトグラフィー(多色石版画)を紹介する。院生の頃に、某所で廃棄されかけていたものを救出して入手した。現代の地質学的な知識からすれば当然誤りだらけの断面図ではある。しかし、現在からおよそ150年前、近代地質学の開始から100年も経っていないこの時代より、手元の岩石から見えない地下を描きあげたいという人類の熱が絶えないことは十分に示されていると思う。

