【ネタバレ注意】『スターウォーズEP8 最後のジェダイ』の感想

『スターウォーズEP8 最後のジェダイ』、初日から見てきました。
 
ツイッターでは絶対にネタパレも感想も何も中身について言わないぞっていう心構えでいたけど、実際見たら何を言って良いのかわからなくなってました。
ともかく見てくれとしか言えなかったのですが、ここらでまとめます。
以下、ネタバレ大盛りで感想を書きます。 観てない方はここで素早く逃げてください!

Time it is

まず映画のメッセージ性について。
ともかく、予想外な展開でした。スターウォーズがこんなにダイレクトに世相を表現したりするものなのかー、と。

ルークはカイロ・レンを殺めようとしてしまった一瞬の過ちで全てが崩れてしまったことへのマスタージェダイとしての重責を感じる。
自分がかつて銀河の伝説を成してきたマスターたちのように賢人として振る舞えていないことへ押しつぶされているかのように島に引きこもっている。

レイは親が飲んだくれクズ野郎で愛情無く育ったことに孤独を感じ続け抜け出せない。
反乱軍やルークやフォース、ジェダイに何かの絆を見出そうとするも、どこにも居場所は見いだせず、相互理解も成し遂げられないまま。

カイロ・レンは、古い世界への苛立ちとマスターから見捨てられた孤独と憎しみにより、ジェダイもシスも反乱軍も無い、全く新しい世界の秩序を自分で作りたいと言う。まるで、「老害は死ね」とインターネットで吠える現代の若者のように!

過去のスターウォーズは、家族や恋人などへの愛情と執着とフォース(力)のバランスが1つの大きなテーマだった。
新三部作は、この『最後のジェダイ』によって、孤独と相互不理解への抵抗とフォース(力)のバランスが大きなテーマになることがほぼ決定した
まさに、今の若者や中年の悩みの構造をそのままスターウォーズの世界で表現してしまったのが最後のジェダイ
こんなにも現代社会の問題そのままみたいなストーリーをスターウォーズというファンタジーでやって良いのかな、と戸惑う中で、唯一の救いのようにして現れるマスター・ヨーダ
賢人になれずに引きこもっていた中年ルークに対して、EP5のときと同じようにケタケタと笑いながら語りかける「若きスカイウォーカー!」
そして、穏やかにヨーダ文法で言うセリフ。 "Time it is."

さらに「マスターとは、後続が乗り越えていくべき存在であり、それが責任だ」と、引きこもっているルークに対して軽やかに何をいま成すべきかを言う。
そうだよ、賢人は滅びないし、僕らが引きこもっても何も解決しないんだ。
かつてのようには輝かしくは行かなくても、もう一度、いま成すべきことを成して伝説にしていくしか無いんだ、と勇気づけられる。



一方で、「銀河には伝説が必要かどうか」というルークとレイの議論によって、我々がスターウォーズというファンタジーにどう向き合うべきかもメタに表現している気がする。
マスターとしての責任感に押しつぶされる中年ルーク、これはかつてのルーカスのスターウォーズという圧倒的ファンタジーの存在に押される今のスターウォーズシリーズと、当時からのファンの姿に被るのかもしれない。
何もかもを破壊し尽くして新しい世界を作りたいという頼りない青年のカイロ・レン。「シスもジェダイも終わりにしよう」としれっという姿は、過去の伝説の時代を生きたことのない若い世代にはスターウォーズがもはや伝説的ファンタジーとしての役目を持っていないことを言い表しているようだ。
その狭間で、つながりを見いだせずに自分の立ち位置がわからないレイは、スターウォーズの過去の伝説やそれに対するアツいファンの姿にたじろぐ新参の製作者らの気持ちを表しているように見えなくもない。
本当に自分が新しい伝説を作れるのか? ルークのような過去の存在(過去作のキャラ)に頼る以外にスターウォーズを続ける方法は無いのではないか?…等と葛藤しているように見えた。

そのような葛藤や絶望の中であっても、映画最後に登場する名もない人形遊びをする幼い子供、彼がルーク・スカイウォーカーの伝説(幽体離脱?)を熱心に語る姿こそが、自らが変化し、いま成すべきことを成していけば、その努力を諦めなければ、次の世代に向けて新しい伝説を作っていくことができるんだ、という点を語りかけてくる。

いろいろと書いたが、「こんなことをスターウォーズで表現するのかぁ」と呆気にとられた。
映画館出てしばらく混乱していた。

僕はこういう表現、好きだよ。
でもコレが世の中にどうやって受け入れられるのかは、ちょっとよくわからない。
ドギマギしてしまうけど、案外、単純に愛される作品になっていくのかもしれない。

それはそうと、映画としての表現技法について

全体として、あまりこれまでのスターウォーズっぽくないです。この点はちょっと不満でした。
カメラワークやテンポ、挟まれる小ネタ、全体として少し歯切れが悪い。
ルーカスの技法研究へのこだわりが偉大に感じられました。
前半のルークがもじもじと引きこもっているあたりは、それでも良かったと思う。レイのイライラを視聴者も共感できるから。
でも後半の塩の惑星クレイトの戦いとルークの登場はもうちょっとコマ割り考えてほしかったなぁ。2時間超えて長いな…と思ってくる辺りだからこそ。

それから、スペースオペラとは言え、今回は特にご都合主義が多すぎた。
・爆発した司令塔から宇宙空間に放り出されたレイアが、なんかよくわからないけどドアに吸い寄せられて助かるシーンは滑稽にも程がある。
・最後の宇宙船ハイパースペース神風攻撃、アレが許されるならなんで最初からやらないんだよ、無人巨大機で特攻が最強なら世界観崩壊にも程があるだろ…

というわけで、ちょっと観ててムズムズする点が多すぎて、スターウォーズファンだからなんとなく許してしまいたくなるけど、映画としてコレはどうなの?と疑問を抱かざるを得なかった。

また、日本だけの問題だけど、ルークがフォースのチカラによって遠隔分身で惑星クレイトに出現する時、ルークの本体のあぐらを組んで空中浮遊してしまっている。どうみても空中浮遊ルークはオウム真理教の麻原彰晃だよな…アレはやばいでしょう日本的には…と思ってしまった。

とりあえず映画館でみよう


なんやかんや言っても、『最後のジェダイ』は絶対に映画館で見ておいたほうがいい作品ではあります。
僕はもう1回頭を落ち着かせて観に行きたいところですね。

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