27になりました



27歳の誕生日の瞬間は東大駒場キャンパスのKOMCEE実験棟でメノウボールミルを回して約32億年前の砂岩の粉末を作っているところでした。

そもそも自分が何歳になったのか、ちゃんと記憶する前に1年が過ぎてしまうということをここ数回繰り返しているため、書類作成のたびに毎回あやふやになります。
端的に言うと今の人生にすごく満足してます。
10年前の17歳の自分が漫然と欲していた人生をだいたい達成しているような感じはします。
無論、当時は10年後の自分の姿など微塵も想像しておりませんでした。目下の趣味活動と大学受験との狭間でもわもわとした将来への願望を思い描いていた程度です。
でもその願望はだいたいのところで達成しつつある、といっても嘘でないとは言えます。
眼の前のタスクは重く長く険しい道程ばかりですが、それでもやっぱり真にたのしいです。
自分の能力の足りなさ故にタスクがなかなか進まなかったり、周囲の環境や社会の制度にイライラしたり、根本的にカネが無かったり、不満を挙げ始めたらキリが無いのは事実です。
ですが、逆に言うと、そういうのすらもたのしいです。
グチを言うとかでなく、問題点を挙げては良い将来を妄想する、ってたのしくないですかね。
前向きに、建設的に、楽観的に生きていきたいものです。
大学院生&ポスドク&+αのたのしいなかまたちといると、まいにちたのしい✨のですが、やっぱり外に目を向けると同年代の人々が着実に人生を進めていることに何と表現してよいのかわからない感慨を覚えることは否めません。
というのも、どうしても体質的にまだそういう社会的人生の進んでいく様とうまく調和し思考を整合していく道筋が見えないからだと最近は考えています。
この点については、当面棚上げしておけばいいと思っています。
現実世界では本棚も鉱物標本棚も一杯一杯になってしまって引っ越しに苦労しましたが、脳内にはいくらでも好きなだけ棚を並べて置ける点は大変ありがたいことです。
人生のいろいろは紙の小箱に収めて標本棚へ、集めていくうちに徐々に分類と理解が進めばそれで良い、そういうスタンスで生きていこうと17歳の頃に指針立ててたな、とふと思い出す次第です。
さて、先に挙げた17歳当時の自分の漫然とした願望というのをもう少し具体的に考えてみると、人生の成功とか社会的地位とかそういうのではなく、""興味あることをもっともっと掘り起こしていくことができる環境""であるのだと思います。
今の人生への満足も、安住の地というよりは流れる車窓の良さのような満足感に近いです。
そういうわけで、今後10年程度の漫然とした願望を思うと、ようやく手に入れつつある環境をよりいっそう深く広くしていくことなのだと思います。
眼の前の某振の申請書とか、落ちる可能性の高さにあくせくふさぎ込むよりも、そう前向きに思うとやっぱり少したのしくなってきます。
前向きに、建設的に、楽観的に、深く広くたのしく生きましょう。
というわけで、最後になりましたが、御祝いはお気持ちだけで良いですので、あの、お気持ちだけで…(チラチラ
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