「新元号は、平成です」
— エービットブルンネン (@Germany_PzKwVB) 2019年3月29日
菅官房長官は、そうとだけいうと足早に部屋を出ていった。後に残された記者たちは、意味がわからぬと呆然とした。フラッシュを焚くことすら忘れて。
だが、彼らは気づいてしまった。
彼らの手元にあるスマホは圏外を示し、中継中のテレビカメラは通信が切れていることに。
記者たちの困惑をよそに、平成が再び始まった。彼らを平成に置き去りにした菅官房長官はどこにもいない。代わりに、彼らの間の前には、記録のなかでしか見たことのない小渕恵三官房長官がいた。
— エービットブルンネン (@Germany_PzKwVB) 2019年3月29日
平成の時代に取り残された彼らは、各々の理念のもとで生き抜こうとする。ある者は、自らが取材した事件を。ある者は自身の肉親を奪った災害を、なんとしてでも阻止しようと動き出す。
— エービットブルンネン (@Germany_PzKwVB) 2019年3月29日
時は1989年1月7日。
彼らの「平成」が始まった。
平成に生まれ、平成に生きる彼らが、再び平成を「やり直し」させられる。
— エービットブルンネン (@Germany_PzKwVB) 2019年3月29日
彼らにあるのは、自らの記憶。そして、ペンの力のみである。
彼らは、平成の名の通り、平和を成し得るだろうか?
それとも、激動の平成は繰り返されるのだろうか?
就職氷河期の先輩が自殺した過去のある記者が、消費税増税や行政改革に猛烈に抵抗し、橋本龍太郎を翻意させたり、生まれる前の出来事である地下鉄サリン事件を、なんとしても阻止すべく燃える若手記者とか、そういうのがですね…
— エービットブルンネン (@Germany_PzKwVB) 2019年3月29日
古い文献から、かつてこれほどの規模の津波がおきているのに、政府は何ら対策しないのか?と提起し、東日本大震災の被害を局限しようとしたりする記者とか。
— エービットブルンネン (@Germany_PzKwVB) 2019年3月29日
もはやペンの力ではなく、阪神淡路大震災の発生直前に、市内各所でバイクのマフラーやクラクションを鳴らしまくって、住民をたたき起こす記者
二度目の平成の始まりから、31年の歳月がたった2019年4月1日。
— エービットブルンネン (@Germany_PzKwVB) 2019年3月29日
そこに現れた官房長官は、あの時と変わらなかった。31年という年月は、平成を繰り返した記者たちの顔に皺を刻み、髪に白いものを混じらせ、あるいは鬼籍に入れさせていた。
だが、官房長官は31年前と同じ調子で、言葉を紡いでいく。
官房長官は手元の原稿を粛々と読み上げていく。
— エービットブルンネン (@Germany_PzKwVB) 2019年3月29日
「新元号は…」
官房長官が掲げた額の中の文字は、平成ではなかった。
平成は終わった。二度目の平成は、確かに終わったのだ。
官房長官はかつてと同じように、足早に立ち去ろうとした。しかしなにかを思い出したように、壇上へと戻っていく。
「それでは最後に、一言だけ」
— エービットブルンネン (@Germany_PzKwVB) 2019年3月29日
すっかり初老になったかつての若手記者たちは、自分の弟子とも言える若い記者たちがきょとんとするのをみた。
「"皆さん"、31年間お疲れさまでした。そして…ありがとう」
官房長官の最後の言葉は、高性能のマイクさえ拾えなかった。
だが、彼らは理解した。
そうして、今度こそ官房長官が退出すると、誰かが拍手を始めた。
— エービットブルンネン (@Germany_PzKwVB) 2019年3月29日
それは波紋のように広がっていき、拍手の音はそれに比例していく。
平和を成したその達成感から、彼らは自ずと拍手していた。若手記者たちも、なにがなんだか分からぬまま、拍手していた。
平成は、確かに今、終わろうとしていた。
失われた20年も、就職氷河期も、派遣法拡大もなく、テロや災害の被害も限定でき、技術者の流出を防げた「平成」は、たらればの極みだとは思うけれど、見てみたい。
— エービットブルンネン (@Germany_PzKwVB) 2019年3月29日
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