Scientific Reportsに論文が載りました!三波川変成帯の蛇紋岩中から、バデレアイトの2mmに達する巨大な集合体を多数発見し、U-Pb年代測定や微量成分分析を行って報告しています!オープンアクセスなので、ぜひ写真だけでも見に来てください!
バデレアイトというのは二酸化ジルコニウムZrO2からなる鉱物で、とても稀な鉱物である。通常はアルカリ岩やカーボナタイトなどに産する鉱物で、これが蛇紋岩の、しかもよく知られた埼玉県の荒川河原の露頭から、2mm近い巨大な集合体として見つかったということで、とんでもない予想外の発見だった。ともかくすごいよバデレアイト。とりあえず論文のリンクを開いて、Fig. 2だけでも見てから以下のブログ記事を読んでほしい。
あまりにも予想外な発見だったためか、2024年6月12日にサブミットからアクセプトまで1年と5日も掛かってしまった。私の人生で最も長いレビュー期間である。 レビューの途中では、エディターから8人ものレビュワー候補に連絡が行き、8ヶ月くらい待たされながらようやくレビューが返ってくるという事態にも見舞われた。 いやほんとに長かったわ…ChatGPTに相談しながら丁寧な言葉遣いで遺憾の意を表明する英文メールをしたためて送ったのは、良い思い出だったということにしておこう。
この論文は富山大学のAPC支援制度によって、オープンアクセス費用については私の研究費もポケットマネーも痛めること無く出版できている。 感謝!圧倒的感謝!みんなも富山大学に感謝しながら、ぜひ論文読んでください。 英語読めない…という方でも図の写真を見るだけでも大満足できると思います。 本文の図に加えて、下の方にあるSupplementary Material 3.のPDFは非常に重たいファイルになってしるが、もはや鉱物写真集の私費出版なのでゎという勢いでたくさんバデレアイトとジルコンの写真を詰め込んである。 ここに来て、稀産鉱物を発見して論文化し、その論文のAppendixとしてオタク鉱物写真集PDFを論文出版社を通じて頒布すればよいのではないかというメソッドに気がついてしまったのである。 みんな幸せメソッドの開拓である。 20年前くらいの、ネット上に何でもかんでもファイルを置けなかった時代には、Appendixといえども主張に直接関係する選りすぐりのデータや写真のみを載せるべしという風潮があったと噂を聞くが、最近のデータサイエンス全盛の時代、逆にむしろ出せるものは何でも出そうという時代になっているようである。 そういうわけで、鉱物オタクはどんどん論文を書いて写真集を作成してしまおう!
さて、今回のバデレアイト発見は、その発見自体の意義だけでなく、いろいろな思いの丈を詰め込んだ論文でもある。そういうわけで、裏話的なことをこのブログ記事に書き散らかしておこう。だいぶ長文なので、物好きな方のみ、暇なときにでも読んでほしい。
論文のあらすじネタバレ
一応ちゃんと学術的に宣伝するという意味を兼ねてアブストの和訳を載せておく。
沈み込むプレートに沿った蛇紋岩化は、多様な岩石の機械的な混合と、組成の異なる流体との相互作用を引き起こし、それに伴って希産鉱物が形成されることが多い。 本研究では、日本埼玉県長瀞町の三波川変成帯樋口蛇紋岩体(Higuchi serpentinite body, HSB)において新たに発見されたバデレアイトについて報告する。 HSBは、高圧・低温型の泥質片岩に囲まれた、15×8メートル規模の露頭として産する。 このバデレアイトは、蛇紋岩ブロックのうち1つからのみ採取された。 バデレアイトは、最大で長さ2ミリメートルに達する角張ったあるいはやや丸みを帯びた集合体として産出する。 これらの集合体は、針状のバデレアイトが多孔質のジルコンのリムに囲まれた組織を示す。 バデレイアイトおよびジルコンの両方から、おおよそ9600万年前のU–Pb年代が得られており、これはこの地域の変成作用のピーク時期と一致する。 さらに、集合体内部には、20マイクロメートル以下のサイズのThに富む領域が確認された。 バデレアイト集合体は、軽希土類元素(LREE)に富み、正のEu異常を示す。 熱力学的安定性の関係に基づき、これらのバデレアイト集合体は、もともとジルコンの巨晶として存在していたものが、機械的に超苦鉄質岩に取り込まれ、その後、蛇紋岩化の過程で変成されたものと推定される。 その後の炭酸塩化作用やシリカ交代作用により、ジルコンのリムと微量元素の不均質分布が形成された。 本研究は、沈み込み帯の蛇紋岩内部において、ミリメートルからミクロンのスケールにわたる顕著な強配位子場元素(HFSE)の不均質性が存在することを示すものである。
そもそもバデレアイトという鉱物自体、一般人はもちろん、逸般人たる地球科学研究者や鉱物オタクであっても、そう馴染みのあるとはいえない鉱物であろう。バデレアイトは海外のアルカリ火成岩やカーボナタイトではそこそこ産出し、地球科学研究としてはウラン鉛年代測定の対象に、資源としてはジルコニウム鉱石に用いられている。鉱物標本市場だと、南アフリカのPhalaborwaや、ミャンマーのMogokなどの細長い濃褐色から黒色の結晶が有名だ。次点で有名なのがブラジルのミナスジェライス州Poços de Caldasアルカリ岩体のもので、自分は数年前にeBayでクラシック標本の結構良いものを購入していました。Mindatに前の持ち主が写真を載せていて、その事がきっかけで書いた当時のブログ記事がある=> https://hsawada-zircon.blogspot.com/2022/03/mineral-photo-classic-specimen-of.html
日本国内でのバデレアイトの産出報告も一応あって、岩手県根市鉱山、岡山県布賀鉱山などのスカルンや、愛媛の弓削島のようなアルカリ火成岩から報告されている。
https://trekgeo.net/m/e/baddeleyite1.htm
ただ、これらの既存の国内産地のバデレアイトは微細な顕微的なもので、今回発見した樋口蛇紋岩のバデレアイトは繊維状結晶の集合体とはいえ2mm近い余裕の肉眼サイズの標本であり、しかもブチブチとたくさん蛇紋岩の中に入っている。おそらく国産最大サイズでのバデレアイトの産出だと思う。国産最大サイズ、私の好きな言葉です。
ジルコニウム鉱物とウルトラマフィック鉱物の波乱万丈な共存関係
国産最大サイズのバデレアイトが三波川変成帯の蛇紋岩から出てきた!と聞いたら、少しでも三波川変成帯や蛇紋岩のことを知っている研究者、大学生、鉱物オタクなら、「んなアホな…」と思われるかもしれない。いや、ワイが一番思ったよ。発見時の感想は完全に「なんなんだこれ…(困惑)」であり、そして本当に発見の瞬間である蛇紋岩を切断した石工室では、あまりに謎すぎて1人で大爆笑しましたわ。当時はまだJAMSTECポスドクだったけど、JAMSTECの石工室が誰もおらず防音の部屋でよかった。
ともかく蛇紋岩にバデレアイトがあった。あったんだから仕方ない。しかもそれは外形からしてどう見てもジルコンの仮晶である。残念ながらバデレアイトの元になったジルコン巨晶の出どころはわからないけど、たぶんヒスイ輝石岩みたいなものがあって、そこから放出されたものだと思う。思うしかないんだ。実際、岡山県の大佐山では美しいピンク色から赤褐色のジルコン巨晶が多産するし、糸魚川ヒスイでも青色や紫色系のものではジルコンはかなり普遍的に入っている。これらジルコンはヒスイ輝石岩を形成する際の熱水変質・交代作用のときに形成した熱水ジルコンであると考えられている。
#みんなこういうピンクが好きなんでしょ
— 日本の鉱物.COM (@miikun3201) February 3, 2024
岡山県大佐山産 ジルコン pic.twitter.com/3G2SjD90f2
下の写真は糸魚川のヒスイ屋さんで買った熱水ジルコン入りのヒスイ。赤紫色の部分がジルコンである。
そして、糸魚川ではよく見られますが、圧砕ヒスイというのがあるじゃないですか。あんな感じで、ヒスイ輝石岩は沈み込み帯深部でバキバキと割れて蛇紋岩と混ざっているらしいので、その中でジルコン巨晶がマントル超苦鉄質岩の中に放り出されるということもまぁあるんじゃないかな。以下は糸魚川駅前に飾られいてる、典型的な圧砕ヒスイ。
そしてここからが本題ですが、ジルコンとかんらん石が何らかの理由で接触したとしても、約1000℃以上にならなければ頑火輝石Enstatite+バデレアイトに変化せずに安定に共存できるが、逆に400℃以下で蛇紋岩化反応が進むとかんらん石はシリカを消費しながら蛇紋石(アンチゴライトAntigorite)に変化するためジルコンはバデレアイトに変化してしまうのである!これは先行研究による熱力学的な解析岩石学計算でも示されており(Xiang et al., 2021. 10.1007/s11430-021-9839-2)、実はいくつかの産地(主に中国)でこのような鉱物組合せがすでに報告されているのである。特にXiang et al.で引用されているMeng et al. (2009) 10.1007/s11434-009-0205-4の中国チベットのQaidam高圧/超高圧変成岩体のダナイト中のジルコンは、樋口のバデレアイト集合体の元になったものとして最も注目すべき存在である。樋口蛇紋岩は完全に蛇紋岩化してしまっているが、ここのダナイトは蛇紋岩化が少しだけ進んでおり、ジルコン巨晶のクラック沿いにバデレアイトの繊維状結晶が生え始めている。これが最終的には樋口のバデレアイト集合体みたいになるのだろうと想像できる。
樋口の場合、バデレアイトになってもこれでは終わらない。さらに、バデレアイトの繊維状結晶の周りにモコモコとした白色というかクリーム色というかな色の多孔質なジルコンが生じている。これでジルコンなのだから驚きである。この多孔質ジルコンは、明らかにバデレアイトの元となったジルコン巨晶とは別物で、バデレアイト化の後からできたものであろう。こちらの説明は樋口蛇紋岩体に貫入している炭酸塩(主に苦灰石)+滑石脈で説明できるだろう。樋口蛇紋岩体の先行研究Okamoto et al. (2021)では、この蛇紋岩体は周囲の泥質片岩から二酸化炭素による変質作用を受けて、多数の炭酸塩+滑石脈が形成したと結論している。この脈は、炭酸塩については二酸化炭素と蛇紋石の反応で説明されるが、滑石の方はどうかというと、炭酸塩化によって蛇紋石からMgなどが奪われ、残ったシリカがさらに蛇紋石と反応して滑石になったと説明されている。つまり、炭酸ガスによってシリカが超苦鉄質岩からも放出されるということになる。このシリカはたまたまそこにバデレアイトがあれば反応してジルコンを形成するだろう。シリカ活動度(≒シリカ濃度)次第ではアンチゴライトとはバデレアイトでもジルコンでも共存可能ということも計算して論文中で示してある。つまり、かんらん石とジルコンだけの環境に純水がやってきて蛇紋岩化反応を起こそうと思うとバデレアイトができるが、既に蛇紋岩化が済んでいる場所にジルコンが放り出されたり、あるいはシリカの外部供給がある環境下での蛇紋岩化だったりすれば、ジルコンとアンチゴライトは共存できるのである。複雑ですね。これらの熱力学的な計算はすべて共著の大柳さんのおかげである。活動度図作るマンとしてあちこちで活躍中の大柳さんに感謝。
これらを踏まえて、今回発見した樋口のバデレアイト集合体の変遷をまとめると、以下のイラストのようになる。
長瀞: 日本地質学発祥の地でありワイの地学人生発症の地
あまりに謎すぎるし珍しすぎるバデレアイトだが、その発見が長瀞町の三波川変成帯であったというのも味わい深い。
三波川変成帯というと20世紀後半から四国での研究が中心となり、今や四国こそ変成岩研究の聖地になっている。
しかし三波川帯の研究、というより日本における近代地質学の研究が始まったのは長瀞町である。
明治時代のお雇い外国人として有名なナウマンは着任翌年の1878年(明治11年)には秩父を調査しており、その弟子で日本人地質学者第一世代の小藤文次郎が長瀞の変成岩を1888年には論文としてまとめている(Koto, 1888)。
現在、長瀞町にある埼玉県立自然の博物館前には「日本地質学発祥の地」という石碑が立っている。下の写真は富山大学出身で私とは同学年、そして今回の論文の共著者でもある長田くんと、2015年に長瀞巡検をして撮ったものである。
私の論文でもこのKoto(1888)を引用しているが、これは長田くんのアドバイスである。ありがとう長田くん。フォーエバー長田くん。
ちなみに、Koto(1888)は普通に東大機関リポジトリにPDFであるので読めます。タイトルの"On the so-called crystalline schists of Chichibu"でググってみてください割ときれいなPDFがダウンロードできます。
日本地質学に比べるのは烏滸がましいが、私個人としても長瀞は中学1年のときに人生ではじめて巡検をした、まさに"地学人生発症の地" として記憶に残っている。幼少期から中学くらいの記憶は大半がもう曖昧になってしまったが、巡検については忘れもしない2004年8月5日である。このときは樋口蛇紋岩体には行かなかったものの、長瀞町から親鼻町にかけてを歩き回り、緑泥片岩中の磁鉄鉱結晶や、栗谷瀬橋下で緑閃石の繊維状結晶の塊などを拾った。この巡検は中学の同級生4人で行ったのだが、同行者の1人が、かの有名な(?)A.K.氏である。
あれから何回長瀞地域を訪れているか、数えるのも難しいくらい多数になる。30代になってからは明らかに実家よりも長瀞に帰っている回数の方が多い。
長瀞地域全体としてはこのような背景がある一方で、樋口蛇紋岩体もそこそこ長い歴史がある。長瀞地域では、結晶片岩が有名なだけではなく砂金の産出地としても長らく有名であった。その大半は荒川上流にあるスカルン鉱床の秩父鉱山が起源であるが、実は樋口蛇紋岩体の苦灰石脈からも自然金が産出することが知られている。この自然金は1930年代にアマチュア鉱物学の父こと長島乙吉氏によって発見されたものであるという。以来、加藤・松原(1982)『鉱物採集の旅〈1〉東京周辺をたずねて』や草下(1982)『鉱物採集フィールドガイド』など、アマチュア向けの鉱物採集案内書に紹介されており、数多くのマニアが自然金目当てで樋口蛇紋岩体を訪れており、その数はきっと数百人に上るであろう。以下は草下(1982)より引用である。絶版書であるが、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能である。
自分も学部生だった2012年に樋口蛇紋岩体を訪れている。当時のウェブ記事がまだ残っており、記載内容は学部生らしくところどころ怪しい文章だが、自然金の写真も載せている。https://planet-scope.info/higuchi.html
この樋口蛇紋岩体は、鉱物マニアが1930年代から訪れており、みんな必死に苦灰石脈を叩いて自然金が取れたり取れなかったりして楽しまれていたものの、それが鉱物学的な論文になったわけでもなく、さらに、地質学者や岩石学者の研究対象ともなっていなかった。苦灰石中の自然金はもちろん樋口蛇紋岩体の存在自体、英文はもちろん和文ですら論文化されていなかった。地質図幅の説明書でもあえて取り上げられたりはしていない。今回のバデレアイト論文では、樋口蛇紋岩体の存在が長らく知られていた証拠となる引用文献として、苦し紛れではあるが、埼玉県立自然の博物館の前身である秩父自然科学博物館(この頃は公営ではなく秩父鉄道が経営する民間博物館だった)の研究報告より、「桜井欽一・長島乙吉(1957)秩父産鉱物目録(その2).秩父自然科学博物館研究報告,7,35‐59.」を引用している。 ちゃんと長島乙吉氏とそしてもう1人のアマチュア鉱物学の偉人櫻井欽一氏の文献を引用できてよかった。
このような樋口蛇紋岩体の研究状況が転換するのは2010年代に入ってからであり、それはまだ学生だった私が大柳さんと雑談したところから始まったのである。
樋口蛇紋岩体研究とバデレアイト発見に至る紆余曲折
私は学部・修士と東工大で、博士課程は東大駒場に在籍していた。なぜ富山大学の長田くんや東北大学の大柳さん(いずれも当時)と知り合いになったのか。表向きにはJpGUや地質学会などの学会で知り合ったということになっているが、現実としては21世紀初頭の最も偉大な情報技術の1つであるツイッターのおかげである。エックスではない、ツイッターである。私たち陰キャが学会に出ても見ず知らずの人といきなり会話するのは難しい。しかしツイッターというのはしれっとフォローしてそれとなく絡んでいるうちに知り合いになれるという大変陰キャフレンドリーなサービスであり、人類のコミュニケーションの民主化に絶大な貢献をしたと言って過言ではないだろう。
そういう前提があっての、たしか2014年の地質学会鹿児島大会のポスター会場だったと思うが、そこで長らく相互フォローだったが顔はあまり知らなかった大柳さんとはじめて会話したのだったと思う。大柳さんは蛇紋岩化やそれに伴われる炭酸塩の研究をしていて、対象は四国の三波川帯の蛇紋岩だった。その会話の中で、埼玉の樋口というところにも炭酸塩脈のたくさん入った蛇紋岩の露頭があるということを伝えたら、どうやら東北大グループはなぜか樋口蛇紋岩体の対岸側、つまり鉱物マニアが自然金を取ってるあの露頭ではなく対岸の崖側で1回観察してたということが判明した。いやいやそっちじゃない方には立派な露頭がありますよ、とお伝えして、今度行ってみるわありがとう、と言われ、そして話は流れていった。
それから7年の時を経た2021年、大柳さんの指導教員であった東北大学の岡本さんらが、樋口蛇紋岩体の成因について総合的な研究を展開しプレート沈み込み帯深部でスロースリップイベントとほぼ同時に起こる現象であるEpisodic tremor and slip (ETS) との関連を指摘した大変重要な論文としてまとめあげたのであった。
Okamoto, A., Oyanagi, R., Yoshida, K. et al. Rupture of wet mantle wedge by self-promoting carbonation. Commun Earth Environ 2, 151 (2021). https://doi.org/10.1038/s43247-021-00224-5
その後、大柳さんと岡本さんが、三波川変成帯の他の地域での研究や、室内での水熱反応実験の結果なども交えて、プレート沈み込み帯における交代作用と地震活動について関連論文を出している。
Okamoto, A., Oyanagi, R. Si- versus Mg-metasomatism at the crust–mantle interface: insights from experiments, natural observations and geochemical modeling. Prog Earth Planet Sci 10, 39 (2023). https://doi.org/10.1186/s40645-023-00568-w
Oyanagi, R., Okamoto, A. Subducted carbon weakens the forearc mantle wedge in a warm subduction zone. Nat Commun 15, 7159 (2024). https://doi.org/10.1038/s41467-024-51476-6
私はこれらの研究には何ら貢献しておらず、ただ樋口蛇紋岩の露頭を紹介する雑談をしただけである。長島乙吉氏が自然金を発見して以来、鉱物マニアにしか知られてなかった樋口蛇紋岩の露頭が、大変立派な研究の役に立ってくれてとてもよかったなあ、ツイッターと学会での雑談はだいじだなあ、などと他人事のように思っていたのだ。ところがこれで話が終わらなかった。
岡本さんから、樋口蛇紋岩の薄片になぜかジルコンが入ってたよ、良い露頭を教えてくれたお礼にこれはあげるよ、とのことを伝えてもらった。たしか2020年頃のことである。そして現物の薄片を見たところ、薄片の隅、ほんと角のところに、茶褐色不透明で繊維状な鉱物の集合体が1mmくらいついており、それは確かにEDS分析によってZrが検出されていた。正直、うわ何だこれ…としか思わなかった。
こんな顔だった。正直、褐鉄鉱とかなにかそれ的な変な変質鉱物のピーク被りでZrが出てるだけなんじゃないかとかなり疑ったりもしたけど、でもそれでも紛れもなくZrが出ていた。あとこの頃はまだジルコンだけだと思っており、バデレアイトとは思ってもいなかった。
疑いを晴らすにはやはり自採しかない!とは思ったものの、この頃はまだあまりこのZr鉱物の重要性(というか信憑性)を信じておらず、別件で長瀞地域に行ってはついでに樋口蛇紋岩をテキトーに採集する、ということを繰り返していた。2020年から2021年にかけてのことである。いちいち薄片にしても見つからないであろうから、テキトーに採った蛇紋岩を切っては、(当時の所属先だった)JAMSTECの(深海棟5Fにあるあまり使われていなかった)日立のマイクロXRFに突っ込んで元素分析をするということをダラダラと行っていた。
するとある日、Zrが検出されてしまったのである。その蛇紋岩片をルーペでじっくり見ると、クリーム色の微細な、0.2 mmくらいの粒子が、たしかについているのであった。0.2 mmがなんで見えるんだよって思われる方もいるかもしれない。しかし、稀元素鉱物オタクならわかってもらえるだろうが、稀元素鉱物というのは独特のオーラを放つのである。それは表現が難しいが、何気なく歩いている道端の草むらにもし1万円札が落ちていたらきっと気がつくだろうということに似ている。草むらの紙切れに記載された内容を普通は覚えていないだろうが、全人類のだいすきなカネとなれば話が別になる。同様に、ただの鉱物ではない、稀元素鉱物の存在する岩片ともなると私たち鉱物オタクの微細領域に対する認知能力は極大になる。
以下がその時に見つけたZr粒子である。論文を既に出した今となれば、これらは小粒すぎて多孔質ジルコンリムだけになってしまった粒子であるということがよくわかる。
ここで私のテキトーさが災いしてしまう。この石、露頭のどこで取ったかわからない… ちゃんとしたサンプリングなら写真撮ってメモを残して、とやるところだが、ついでのついでで、何も期待せずに取った蛇紋岩である。いちいち場所のメモなどしなかった。たしか露頭の西側のほうで取ったはずだが…その後2回ほど行ってはスカを踏んで、そしてついに、2022年9月、このジルコニウム鉱物の給源を特定したのであった。それは、岡本さんらの論文Okamoto et al. (2021)のFig. 2の写真が取られた、まさにその場所の蛇紋岩ブロックだったのである。このブロックをまるっと外して切断してみると、それがSupplementary Material 3.の写真に載っている、先述の通り、まさに私がJAMSTECの石工室で爆笑しながら撮った写真である。めちゃくちゃジルコニウム鉱物入ってる!切れば切るだけ出てくるジルコニウム鉱物!なんだこれは!!!
これ↑を切ったら、こう↓だったわけである。そりゃあもう笑いが止まらないでしょう。
この調査の時、Okamoto et al. (2021) Fig. 2に似たような蛇紋岩の丸っこいブロックを他にもたくさん持ち帰ったが、1つもバデレアイトを含んでいるものは見つからなかった。その後、何回かトライしたもののやはり入っていないし、研究者だけでなく鉱物オタクの中から信頼の置ける部隊を使って調査を頼んでみたものの、やはり見つかっていない。おそらく、岡本さんらが研究に使って薄片になった蛇紋岩も、私が最初にうっかり多孔質ジルコンを見つけてしまった蛇紋岩の小石も、このタマの一部や続きの部分を採集したものであった。バデレアイト、あるところには沢山あるのに、樋口蛇紋岩体の中で極めて不均質に存在している。このことを端的に表現しようと、論文のタイトルはExtreme maldistributionとしたのである。
蛇紋岩中のバデレアイトはたぶん他所にもある
ここまでの長々としたバデレアイト発見の経緯を踏まえて、思いの丈をぶっこんで論文の締めの文にこんなことを書いておいた。
The HSB is easily accessible and has been visited by many geologists for a century. The fact that baddeleyite aggregates remained undiscovered in such outcrops is remarkable, probably due to the significant degree of heterogeneity. When geologists encounter a serpentinite outcrop of only several tens of meters, they usually collect at most two or three hand specimens and would have missed such heterogeneity. There may be large unknown heterogeneities in serpentinites around the world, which could hold valuable information about element cycling in the deep subsurface of the Earth.
和訳: HSBはアクセスが容易であり、これまで1世紀にわたって多くの地質学者が訪れてきた。そのような露頭において、バデレアイト集合体がこれまで発見されてこなかったという事実は注目に値する。この理由は、顕著な不均質性が存在するためと考えられる。地質学者が数十メートル規模の蛇紋岩の露頭に出会った場合、通常はせいぜい2、3個の手標本を採取するにとどまり、そのような不均質性を見逃してしまうことが多い。世界各地の蛇紋岩には、まだ知られていない大規模な不均質性が存在する可能性があり、それらは地球深部における元素循環に関する貴重な情報を含んでいる可能性がある。
日本地質学発祥の地の、アクセスの良い河原の露頭に、肉眼サイズのレア鉱物が眠っていることがある。この事実は鉱物オタク的に嬉しい発見ということを超えて、今後の地球科学研究にかなり重い意味があるんじゃないかと考えている。
さしあたっての課題としては、蛇紋岩中バデレアイトをもっと他の場所から見つけたいという事が挙げられる。バデレアイトのほしい鉱物オタクはたくさんいると思うが、もうこれ以上樋口を狙うのはあまり得策とは思えない。狙って見つかるようなものかと言われると疑問だが、1つはヒスイの産する糸魚川や大佐山の蛇紋岩の中から出てこないものだろうかという思いはある。そう思って、博物館などに飾られている圧砕ヒスイのキワなどを観察しているが、あの部分は角閃石になっているため、より外側を探さなければならないようだ。そもそも今回のバデレアイト発見もさして狙ったわけではないので、きっと蛇紋岩や超苦鉄質岩を見ているうちに思いもしないところから出てくるのかもしれない。思いもしないところから出てくる鉱物は、出てくるものだという知識が無いと見逃してしまうのである。今回こうして樋口蛇紋岩のバデレアイトを論文にできたので、これからそういう目で各地の蛇紋岩を見る人が増えてくれれば、新しい産地が見つかるだろう。
長いブログ記事になってしまったが、実はまだ話が残っている。論文のタイトル、Extreme maldistribution of zirconiumではなくExtreme maldistribution of high field strength elementsとしたのには理由がある。そこには樋口蛇紋岩体におけるThの偏在が理由であり、その説明には共著者の仁木さん・吉田さんのチカラがとても重要になるが、それを書くにはもう時間が無いのでまた別の記事を近日中に立てようと思う。
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